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ダマスカス
前の晩にアンマンからダマスカスへロイヤルヨルダン航空にて移動し、ダマスカスにて宿泊。翌朝、一番に訪れた国立博物館は、普段あまり博物館に足を運ばない私にとってでさえそこにおいておる価値がわかるものばかりあり、ウガリットのアルファベットが彫られた粘土板、ユーフラテス川沿岸のマリから出土された土器やアクセサリー、また考古品ばかりではなくイスラム建築の展示などもしてある。アンマンで訪れた博物館の比ではない。貴重そうな展示品があまりにも無造作におかれていたので、ご自身も大学で考古学を専攻され展示物の説明を事細かにしてくれるガイドのハニさんに「どれが複製ではないオリジナルですか?」と聞くと「ほぼすべてです!オリジナルでないものはちゃんと私が教えますから」とおっしゃったのだった。
次に訪れたのがウマイヤドモスクで、ウマイヤ朝、西暦715年の古いモスクで他国からの巡礼者も多いそうだ。内部を見物するのに女性は頭から足まですっぽりの、まるでゲゲゲの鬼太郎のねずみ小僧のようなベールを着なければならない。

街を歩いているときもだが、メディアでもきっと東洋人を見かけることが極端に少ないのだろう、ヨルダンではこんなことはあまりなかったのだけどこののっぺりした顔立ちが珍しいのか、シリアではすれ違う人の視線を痛いほど感じる。(決していやな目つきではなく、歓迎の笑顔を返してくれるのだが。)私を見ると泣く子は泣きやむし、おもちゃをねだっている子はねだるのをやめるし、といった感じである。後ほど行くことになるパルミラでは観光地なのでシリア人も記念撮影用のカメラをみんな持っているのだが、まるで宇宙人とでも会ったかのように私を珍しがり、アラビア語でワーッと話しかけられ(たぶん「なんでシリアにいるの?!」というようなことだと思うが)、それから一緒に写真に写ってくれ、と何度も頼まれた。ある家族は生まれたてほやほやの赤ん坊を私に抱かせ、大泣きしているのにも関わらず、この角度から、次はこっちから、とパシャリパシャリと何枚も取っていた。決していやな気はしないのだけど私は動物園のパンダ・・・?ここウマイヤドモスクでも、休暇前の女学生とパシャリ、記念に一枚。といっても、シリアの人はフレンドリーで本当に親切で、たびたび道を教えてもらったりもした。


スーク(市場)へ
ダ マスカスのスークは面白い。服が安価で手に入るらしくオマーンや近隣アラブ諸国からも買いに来るそうだ。シリアでは思ってたより服装が自由で、女性でもたまにノースリーブの人もいるぐらいで、ベールをかぶるかかぶらないかは両親の方針によって決めるそうだ。とはいえ、外国の巡礼者の女性や年配の女性は黒づくめの格好の人もたくさんいる。しかしその黒づくめの格好の中はみんな思い思いに着飾っているのである、ということをスークで発見した。スークで売っている下着は真っ赤だったり、金ぴかだったり、レースがぴらぴらとついてたりと大変派手で、私は最初、それはベリーダンサー用に違いないと思っていた。どうやら個性はあのベールの中に隠されているようだ。アクセサリーもきらびやかでジャラジャラ重そうなものばかりで、日本で売っているものが限りなくシンプルであることに気づく。私と従妹は「せめてこれが小さかったら買ってたかもね」とぼやいたのだった。


スークで行列のできる アイスクリーム店発見!ハニさんにご馳走してもらったのだが、店のお兄ちゃんにも「はいよ」とばかり、大きなアイスクリームの上にさらにおまけのアイスクリームをサービスしてのせてもらい、「ラッキー!ショクラン!(ありがとう)」とお礼を言って口いっぱいにほうばって全部ぺロリとたいらげた。
ダマスカスの市内、旧市街は歴史が古いだけでなく、ぶらぶら歩いているだけで楽しいところだ。街歩きでこんなに楽しかったのも久しぶりだった。その日は休日前の木曜の夜だったので、泊まったシャームパレス(ランドマーク的な素敵なホテル!)の近くでも夜遅くまでたくさんの人が踊ったりと賑やかだった。


パルミラ
翌日、ダマスカスの北東230Kmに位置するパルミラへ。 さすがシリアの代表的な観光地、観光客もたくさんいれば、客引きもたくさんいる。らくだ乗りの兄ちゃんが「へーイ、ラクダに乗ってかない??」というしつこい勧誘は無視してたのだけれど、ふいに「らくだはラク(楽)ダ」といわれたので、つい吹きだしてしまった。
ここでもガイドのハニさんの懇切丁寧な説明を受ける。ベル神殿というところでは「この穴は私が大学時代、研究に関する発掘のときに掘った穴です」とご自身の研究に関することも教えていただいた。パルミラは地中海とアラビア半島、メソポタミアを結ぶ位置にあり、シルクロードの要衝オアシスとして大いに繁栄した。しかし、ローマ帝国に進撃され、アラビアのクレオパトラと呼ばれるほどの容貌を持ち、また何ヶ国語も操るという才色兼備のパルミラ女王ゼノビアは最後まで抵抗するが、ついに囚われてしまう。その後の彼女の伝説はいくつかあって、殺されてしまうという説、ローマ皇帝に見初められ余生をチボリで平和に暮らしたという説などがある。


この日泊まったのがパルミラの敷地内にあり、部屋の窓からは遺跡が見える部屋もある、その名も「ゼノビアホテル」。なんといっても特徴は立地のよさにある。遺跡を眺めながらの朝食は最高であった。
ここは砂漠地帯なので日中は日差しも強いが、夕刻になると涼しくなり、夕日がパルミラ遺跡の美しさを赤く、幻想的にひきたてる。夕日が沈んでしまうとライトアップで照らされた遺跡がまた別の美しさを見せる。ペトラを荒々しくたくましい男性にたとえるならば、パルミラは一日に何度も違う表情を見せる魅力的な女の人、のような遺跡だった。

バグダッドカフェ
往路でも寄ったのだが、ダマスカスからパルミラを結ぶ道路上にバグダッドカフェという休憩所があり内装もとてもおしゃれである。近くにはベドウィンのテント風の休憩所もあり見物させてくれる。ホスピタリティー旺盛な店員さんが手作りの楽器で演奏してくれたり、ベドウィンの民族衣装を着せてくれたりした。ここで私も1枚記念にパシャリ。いい記念になった。
ヨルダンとシリアに来る前はなんとなくイスラム教圏の人って排他的、閉鎖的なイメージを持っていたのだが出会った人はみんな解放的で、フレンドリーな人で親切にしてもらうことも多かった。また、なんでこんな時勢にヨルダンとシリアに行くの?と聞かれることが多かったが、イラクと国境を接していても違う国は違う国である。この期間に3回も偶然にあった旅行中のタイ人もたくさんの歓迎を受けたらしく、アンマン市内でお金を道で落としたのを通りがかりのヨルダン人に拾ってもらったりもしたそうだ。限られた情報量しかないとはいえ、こちらから積極的に知ろうせずに流れている情報をそのまま吸収すると、ちょっと事実とは違った見解を持ってしまうことになってしまう。今回、私は本当にラッキーで、ただ単に親切な人とのみ会っただけなのかもしれず、9日間でこの国々の人を知った、というにはあまりに短すぎる。だとしても、この目で見て、人々と話して、自分なりに感じることができることってなんて素晴らしいことか。自分が知らないことがまだまだ山のようにあることが実感できて、また旅にでなければ、と思わせてくれるいい旅行だった。
辻 理恵子 (2004年5月)